千葉地方裁判所 昭和55年(わ)208号 判決 1982年2月08日
主文
一、被告人を懲役二年に処する。
二、訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、産業廃棄物(主として建築基礎汚でい)の収集・運搬・処理を行っていた中村工業(昭和五四年二月ころから幸伸工業と改称)の経営者であり、汚でいの処理施設等の設置及びその管理等の業務全般を統括していたものであるが、
第一 昭和五二年二月ころから、千葉県市川市原木字西浜二、四七四番地の五所在石井正夫ら所有の湿地帯等合計五、三六〇平方メートルを借受け、その周囲にガラ(コンクリート塊、アスファルト塊等が混っている廃材)、残土を盛って堰堤を作り、東西約三八・五メートル、南北約一一〇・四メートルのほぼ長方形の汚でい処理場(第一処理場)を設置し、建築残土である水分の多いベントナイト汚でいの投棄を行い、その後も汚でいの投入需要量の増加に応じ、逐次堰堤のかさ上げを行い、同五四年一月ころまでには右堰堤は天端の高さ四メートル以上に達していたところ、同堰堤は、これを構築するのに必要な知識及び技術を有しない被告人らが、専門家の設計施行によることなく、順次乾いて硬くなった同処理場の汚でい、ガラ、残土など不均質で堤体材料としては不適当な材料を盛り上げて築造したものであり、かつ十分な法面も持たせておらず、特に東側堰堤南側半分については重機類で輾圧することもなかったため、極めて軟弱であって貯留汚でいの作用圧力に対する堰堤の安全性に関する安全率は極めて低かったものであり、同処理場を使用管理する被告人としても、堤体の材質、工法、構造等を熟知し、同五二年一二月には南側堰堤の堤体下部に、同五四年一月下旬には東側堰堤の堤体中腹に、いずれも貯留水の滲透がみられ、堤体が極度に脆弱となっており、今後更に水分の多い右汚でいの投棄を続けて堤体の天端近くまで汚でいを貯留するにおいては、右堤体の抵抗力が投入された汚でいの作用圧力に負けて堤体が決壊し、汚でいが同堰堤の所在場所より低地にある日野興業株式会社等の敷地方向にも流出し、同所に現在又は居住する人に対して危害を及ぼすかも知れない危険を予知していたのであるから、かかる場合、直ちに現場作業員に対し汚でいの投棄中止を確実に指示し、その中止を確認するとともに、堰堤の安全性に対する適切な技術調査を実施し、かつ十分な輾圧を行いながら堰堤外側法面の傾斜を緩やかにする腹付盛土を行うなどして、堰堤の決壊による汚でい流出事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があったのに、なんら右の措置を講ずることなく、同五四年二月以降においても、現場作業員をして従前同様の方法により堰堤のかさ上げをしながら本第一処理場への汚でい投棄を継続させ堰堤天端まで汚でいを充満させた過失により、同処理場東側堰堤の南側部分の堤体内へ処理場内貯留水が滲透し、堤体の強度の急速な低下を招き、一方堰堤天端まで投入された汚でいの圧力の増加によって、同年四月一四日午後七時ころ、右堰堤部分を約二〇メートルにわたって滑動決壊させ、汚でい約四、四四二立方メートルを同市原木二、四九八番地所在前記日野興業株式会社等の敷地内に流出させて、右日野興業従業員宿舎内に居住していた土屋利夫(当時七か月)を右流出した汚でいで埋没させ、よって同人を同日午後八時三二分ころ、同市南八幡三丁目六番一三号日下部病院において、気道閉塞により窒息死するに至らしめた
第二 昭和五四年二月二〇日付けで千葉県知事から事業の範囲を汚でいの収集・運搬とする産業廃棄物処理業の許可を受けていたものであるが、その事業の範囲を変更しようとするときは、同県知事の許可を受けなければならないのにかかわらず、法定の除外事由がないのに、右許可を受けないで、業として別紙一覧表記載のとおり、同年三月一日から同年四月一四日までの間、継続して多数回にわたり、前記第一所在の処理場(埋立処分場)及び同市原木再印新田二、三九〇番地等に設置した処理場(中間処分場)において、株式会社利根汚水処理センター等から処分の委託を受けた産業廃棄物である汚でい合計約二万五、九四四・六立方メートルを脱水又は埋立等して処分し、もって同県知事の許可を受けることなくその事業の範囲を変更した
第三 前記第一記載の汚でい処理場(埋立処分場)において、産業廃棄物の法定の基準に適合しない処分を行ったことにより、汚でい流出事故を発生させ、生活環境の保全上重大な支障を生じさせ、更に再流出の危険を生じさせたため、千葉県知事からその支障の除去又は再流出の防止のため同年六月一八日付けで「汚でい流出区域内に在する建築物、工作物及びその周辺について、当該建築物及び工作物が使用し得るよう流出汚でいを撤去すること」等の措置をすることを命ぜられたのに、その履行期限である同月二五日までに何らの措置を講ぜず、同県知事の命令に違反した
ものである。
(証拠の標目)《省略》
(被告人らの主張に対する判断)
一、被告人及び弁護人は、判示第一事実について、「幼児死亡の事実は認めるが、注意義務の存在も過失の存在も否認する。被告人は過失責任に結びつく意味では業務全般を統括していなかった。堰堤築造についてそれ相当の必要な知識及び技術を有していたと認識していた。被告人が使用した堰堤材料は均質、適当なものという認識でいた。法面も十分なものだという認識でいた。輾圧も十分なものをしていた。昭和五四年一月下旬の貯留水の浸透は知らない。危害に対する予知は否認する。第一処理場に汚でいを入れるよう指図していない。本件事故は、A及びBが被告人の意に反して業者に第一処理場へ汚でいを投棄させたことから生じたものであり、これは被告人の予見可能性の範囲を逸脱したものである。」旨、判示第二事実について、「外形的事実は認めるが、本件は従来規制の対象となっていない事項について中途から規制対象としようとした過程において生じ、県職員も現地を見て現状を認めていた点等からして被告人の所為は違法性を阻却する」旨、判示第三事実について、「被告人が本件事故や生活環境の保全上の重大な支障を生じさせたのではない。被告人は事故直後できる限りの工事をして再流出の危険なきものとしたから右危険はなかった。本件措置命令は資金的にできないので可罰的違法性ないし期待可能性を欠く。」旨主張する。
二、右の点に関する裁判所の判断は次のとおりである。
(判示第一事実について)
1、本件事故の原因
《証拠省略》によれば、本件事故の原因は、堰堤断面が標準的な断面に比較して小さすぎたこと、堰堤の使用材料が不均質でしかもガラ等の堤体材料としては不適当なものであったために堤体内に処理場内貯留水が浸透して堤体強度の急速な低下を招来したこと、築造上不可決な堤体の強度を目的とした輾圧がなされていなかったこと、汚でい投棄が決壊箇所とは反対側に当たる北側からなされていたため、決壊箇所付近には細粒土しか堆積せず、その結果堰堤への作用圧力が第一処理場中最大となっていたことがそれぞれ背景原因となって、このような種々の欠陥を内包するところに堰堤天端付近まで汚でいが投棄されていったため、汚でい圧と浸透水圧の増加に伴う堤体の強度低下によって堤体の安全性が極限状態にあり、ここに本件事故当日も次々と汚でいを投棄し続けたことが誘因となって、第一処理場中最も脆弱な部分であった東側堰堤の南側部分が滑動、決壊した事実が認められる。被告人は、築造方法等について種々弁解しているが、《証拠省略》によれば本件堰堤の材質、工法、構造の種々の欠陥は客観的に明らかである上、被告人自身も捜査段階において、「土手の作り方について安全率とか土手の輾圧の必要性とか土手を作る材質等につき知識はなく土木専門家に相談することもなく作り始めた。ガラ、残土を積み、その上にブルを走らせた所もあれば積み放しの所もあった。東側の土手の南側半分はガラ、残土を盛っただけで輾圧はしなかった。土手の高さに対して土手の幅や土手の傾斜をどの程度にしたら安全なのかというようなことは知らなかった。計画性がなかった。」旨供述しており、公判廷においてもおおむね同様の供述をしているところである。したがって、被告人の「認識」としても築造方法等についての不十分さはよく心得ていたものと考えられる。
2、危険性への予知
右に述べたとおり、決壊した堰堤はその安全性が極度に低い状態にあり、本件のような事故に至る危険性の高いものであったことが認められるが、被告人も、堰堤の安全性に問題があり、本件のような事故に至る危険性があることを認識したか、少なくとも認識することが可能であったものと認められる。
(一) すなわち、被告人が本件処理場の築造に必要な知識及び技術を有さず、安全面に対する配慮を欠いたまま事業を開始、継続したことは前記事情から明らかであるが、そのこと自体からして被告人が安全面について自信を持っていなかったものと考えられる上、次に述べるように被告人は事業遂行の過程において本件事故を予測させるような数々の事故に直面、体験しているのである。
(二) まず、《証拠省略》によれば、昭和五二年一二月ころ、第一処理場は堰堤のかさ上げの繰り返しで高さが約三メートルに至り、そこに汚でいが一杯になっていた上、南側堰堤で漏水事故が発生したことから、被告人が堰堤の決壊をしきりに心配していたこと、右Cの勧告により第一処理場への汚でい投棄を中止し、間もなく第二処理場を築造したことが認められ、被告人は事業開始後一年を経ずして危険の現実的前兆に直面した。
(三) その後、昭和五三年一〇月ころには、第二処理場北側の堰堤が幅約二メートル、深さ約一メートルにわたって決壊し、同所から付近に汚でいが流出する事故が発生し、これは場所こそ異なるものの本件事故と同様な態様のものであって、これにより被告人は各処理場の種々の欠陥と堰堤決壊の恐れを理解したはずである。
(四) これらに加え、昭和五四年一月下旬ころ、本件決壊箇所である第一処理場の東側堰堤南側堤体中腹に貯留水の浸透があり、同所付近の堤体が軟弱になったため、従業員Aが同所付近に三〇本位の杭を打ち込み盛土をするなどの応急措置を施すという事態が発生し、被告人はこれを従業員Bから直ちに報告されるとともに現場を見た事実が認められ、被告人はこれらのことによって今後も汚でい投棄を継続した場合には本件のような事故が起きる危険があることを十分に予知したものと考えざるを得ない。
(五) なお、被告人は右事態について報告を受けたこともないし現場を見たこともない旨弁解しているが、右弁解は信用できない。従業員がこれほどの重大なことを経営者である被告人に報告しないことは考えられない上、Aは「私はこのことをBさんに話をし、Bさんに社長にも話をしておいてくれと頼んでおきました。補強工事をした時から一週間位してから社長がこの現場を見たことがあり、私に『杭を打ってなおしたのはここか』と言いました。社長はその事実がないと言っているそうですが事実は間違いないものです。」旨供述し、Bも「一月下旬にAさんから土手がくずれたので杭を打って補強したという話を聞いた。その日の夜、江戸川の事務所の方へ行き社長に『土手がくずれて杭を打って補強した』ということを話した。すると社長は『ああ、そうか』と言っていた。その後、三、四日たった頃社長がこの現場を見ており、私は社長にその場でも話をしている。また、その付近の土手が水気でふくらんでいたことを社長は見ていた。社長は二月初旬にはその杭の様子、土手の様子、処理場の様子、処理場の中の汚でいの様子も見ている。また、今年(昭和五五年)の一月末頃、社長は私の家に来て警察でどんなことをしゃべっているのか聞きに来たが、その際、社長は『処理場の中の水が土手からしみ出していることは前から知っていた。京葉興業からはよく文句を言われていた』と言っていた。」旨供述し、これに加えて杭は外観上すぐに分ること、被告人は毎日あるいは週に一回位は本件現場に顔を出していることなどを考えると、被告人が右事態を遅くとも昭和五四年二月初旬ころには認識していたことは明らかである。
3 注意義務の存在
(一) 被告人は、中村工業(幸伸工業)の創始者であるとともに最高責任者としてその業務全般を現場における従業員の指揮等を含めて統括していたのであるから、前記のような危険性を予知した以上、直ちに現場作業員に対し汚でいの投棄中止を確実に指示し、その中止を確認するとともに、堰堤の安全性に対する適切な技術調査を実施し、かつ十分な輾圧を行いながら堰堤外側法面の傾斜を緩やかにする腹付盛土を行うなどして、堰堤の決壊による汚でい流出事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務が存するものといわなければならない。
(二) この点に関連して被告人及び弁護人は過失責任と結びつく意味では被告人は業務全般を統括していなかったと主張するが、被告人が本件事業について注意義務そして過失の基礎となる意味で業務全般を統括していたことは明らかであるといわざるを得ない。すなわち、《証拠省略》によれば、中村工業(幸伸工業)は従業員一〇数名の裁告人経営にかかる小規模な個人企業である上、処理場の築造、その後の堰堤の補修等すべて被告人の判断、さい配でなされ、昭和五三年一二月ころからは現場事務所にB、次いでAを所長と呼んで現場の管理をさせてはいるものの、被告人自身も少なくとも週に一度は現場に赴いて処理施設の管理等について具体的な指示を行ったり電話で指示をしたり、更には毎日「残土搬入券」の売上げ状況を把握して搬入量をチェックするなどしていたもので、Aらは現場の管理をしていたとはいうものの、これは日常的業務の管理についてのみであって、堰堤の補修や汚でい投棄の中止、制限といった営業上重要な意味をもつことがらについては被告人の指揮、承認に基づいてなされており、前記のような杭打ちにおけるが如き緊急を要するものについては直ちに事後報告がなされていた事実がそれぞれ認められる。
(三) この点、A、B、C、D、E、F、G、H、I、Jら多数の従業員はそろって被告人のイニシアチブを認め、被告人が極めて現場と密接であったことを供述しており、被告人が本件事業を始める前の昭和四四、四五年頃から被告人に雇われていて本件現場で稼働していたEは、「中村社長はワンマン社長であり、私は社長の性格をよく知っておりますが、社長の性格からみて社長の指示に反するようなことを従業員が勝手にやるということは考えられないような状態でした。社長は毎月原木の現場の方に来てみたり一週間に一回位来てみたりしておりました。私の見た感じでは社長がこの現場の施設のことについては一番よく知っていたのではないかと思います。社長は現場を見た後、従業員を集めて指示をしました。」と供述しており、被告人があらゆる意味において業務全般を統括していたことは明らかであると考えられる。
4 過失の存在
(一) 被告人には前記のような業務上の注意義務が課せられていたにもかかわらず、《証拠省略》によれば、被告人は堰堤の安全性に対する技術調査や堰堤の補修汚でい投棄の中止等の安全措置を何ら講じなかったのみならず、昭和五四年二月以降においても第二処理場ですべての汚でいを処理できなかったことから、現場作業員をして堰堤のかさ上げをしながら本件事故当日まで第一処理場への汚でい投棄を継続させ、本件事故発生直前には、堰堤の高さがほぼ五メートルとなり、堰堤南側付近にあっては天端から約二〇センチメートル下った位置まで汚でいが貯留されるに至り、本件事故の発生を見るに至った事実が認められ、被告人の過失の存在は明らかであるといわざるを得ない。
(二) この点、被告人及び弁護人は、第一処理場への汚でい投棄を指図したことはなく、本件事故の原因はA及びBの無責任な行動にあった旨主張して過失の存在を争っているが、前記のように被告人は現場に少なくとも週一回は顔を出して作業状況等を確認し、残土搬入券の発行事務によって汚でいの搬入量を把握していた上、《証拠省略》によれば、被告人が電話でAに対し第一処理場への汚でい投棄を指示したり、被告人と搬入業者との直接交渉に基づいて汚でいが搬入されたり、Aが汚でい投棄に危険を感じこれをちゆうちょするや被告人が同人を叱責するといった事実が認められ、これに加えて被告人自身も捜査段階においては「昭和五四年三月中旬ころ、第一処理場にヘドロを入れていることを知った。この時の状態では更にヘドロを入れると土手が壊れると思った。それなのに口でAに注意しただけでヘドロを入れさせないような措置はとらず補強もしなかった。その後もヘドロの投入が続けられたが黙認してしまった。」旨供述した上で自らの過失を認めているのであって、被告人の過失の存在は明らかである。
(判示第二事実について)
1 《証拠省略》によれば、次のとおり認められる。
昭和四六年九月、廃棄物の処理及び清掃に関する法律(以下、単に法という)が施行されたことにともない千葉県(以下、単に県という)においても、環境部生活環境課(旧廃棄物対策課)を設置し、同課において、右法律に基づき産業廃棄物に関する行政を実施して来たものの、従来各種建設工事から発生する汚でいを産業廃棄物として取扱うか否かについてその指導に若干統一性を欠いていたが、昭和五三年九月一日から「ベントナイト汚でい等処理対策要綱」を実施するに至った。右要綱によれば、「建設工事に伴い生ずる泥水及びベントナイト等の薬品を含む泥水」がその規制対象となり、右対象物の中間処理者、埋立処分者等は、右要綱にもとづき県に対し許可申請等を行わなければならないとされた。そして右要綱による規制の内容は、1昭和五四年二月末日までに処理施設を閉鎖する場合は同五三年一〇月末日までに所定の暫定措置を講ずること、2同五四年二月末日以降も継続して処理施設を使用する場合は、同五三年一〇月末日までに右暫定措置を講じ、同年一一月末日までに法一五条に基づき県知事に対し産業廃棄物処理施設設置の届出をなし、同五四年一月末日までに法一四条により県知事に対し産業廃棄物処理業の許可申請をし、右許可に基づいて処理業を継続するものとされた。被告人は、県が右のとおり産業廃棄物に関し規制を実施するに至ったことを知り、昭和五三年一〇月一一日前記生活環境課に赴き、同課職員から右要綱に基づく各種規制内容の説明を受け、現に広さ四〇〇〇平方メートルの埋立処分場(前記のいわゆる第一処理場、以下第一処理場という)と一日当り四八〇立方メートルの処理能力を持つ中間処理施設(前記のいわゆる第二処理場、以下第二処理場という)の二か所でベントナイト汚でい等の処理業を営んでいる旨の説明をした。これに対し同課職員は要綱に基づく暫定措置承認申請書を提出するように指導し、被告人は同年一二月一一日第二処理場について中間処理施設(天日乾燥施設)の暫定措置承認申請書を提出したが、第一処理場に関してはその実情に添う最終埋立処分施設の暫定措置承認申請書が提出されなかったので、県職員は第一処理場に関しても右の承認申請書を提出するように話したところ、同年一二月一八日ころ、被告人は、従業員を介して、第一処理場はすでに埋立を完了し、今後は埋立をせず、乾燥した汚でいの一時保管場所として使用する旨の説明をしたので、県においては、今後埋立をしないのならば暫定措置申請の必要はないとして指導の対象からはずし、保管場所としての暫定措置計画書を出すようにと指示した。同年一二月二一日県職員らによる現地調査が行われ、被告人もこれに立ち会ったが、被告人は中間処理施設として第二処理場を、乾燥汚でいの一時保管場所として第一処理場の東側にある盛土場を指示説明し、県職員らとしても、その説明をそのまま受け取り、右の盛土場を先に説明を受けた一時保管場所と信じ、これについて保管場所としての暫定措置計画書を提出することを促し、第一処理場についてはその存在を気づくこともなく現地調査を終えた。その後、被告人は昭和五四年一月一七日に第二処理場に関しての中間処理業計画書(中間処理業許可申請の前提となるもの)、前記盛土場に関しての保管施設の暫定措置承認申請書、汚でいの収集運搬に関する産業廃棄物処理業許可申請書を提出し、同年二月二〇日県知事から産業廃棄物の収集運搬業が許可された。被告人は、右の収集運搬業の許可に続き、第二処理場に関し中間処理業の許可を受けるべく準備していたが、結局処理業継続の暫定期間である同年二月末日までに右の許可申請手続をなさず、同年三月に入り県職員から許可が出ないうちは処理業を継続してはいけない旨の忠告を受けながらこれを無視して判示のとおり第一処理場及び第二処理場に汚でいを投棄し、同年三月一七日に至って第二処理場における中間処理業を内容とする産業廃棄物処理業変更許可申請書を提出したが、この変更許可が未だなされない間も第一処理場及び第二処理場に汚でいを投棄し、同年四月一四日第一処理場からの汚でい流出事故に至った。
以上のとおり認めることができる。
2 右の事実によれば、被告人は、県職員の指導等により昭和五四年三月一日以降は県知事の許可がなければ産業廃棄物の中間処理及び最終埋立処分等をすることができないことを十分に知りながら、その許可の申請はしたが未だ許可を得ていない第二処理場並びに何ら許可の申請もしていない第一処理場へ産業廃棄物である汚でいの投棄をなしたものであり、このような被告人の行為が違法性を欠くものとは到底言えない。
(判示第三事実について)
1 《証拠省略》によれば次のとおり認められる。
前記のとおり昭和五四年四月一四日第一処理場から汚でい流出事故が発生したが、その態様は、第一処理場東側堰堤南側部分が突如約二〇メートルにわたり円孤を描くごとく滑動決壊して処理場内の汚でい約四四四二立方メートルがほぼ南方向に流出し、右流出汚でいは第一処理場南側に位置する日野興業株式会社、藪塚運輸株式会社、株式会社東亜オイル興業所の各敷地並びに道路部分に至り、その流出面積は約六二九八平方メートルに及び、日野興業株式会社従業員宿舎内にいた土屋利夫が汚でいに埋没し死亡したほか、日野興業ほか二社の建物等が埋没するなど財産的被害は総額一億四五七三万円余に及んだ。流出事故の当日、県生活環境課による現場調査が行われ、四月一八日、県は被告人に営業停止、現場復旧等を内容とする県知事名義の勧告文書を交付しようとしたが、被告人はこれを拒絶した。その後、同月二〇日から五月一六日までの間、四回に亘り県と被告人との間において交渉がもたれ、その際、県側から被告人に流出汚でいの早期撤去を再三勧告するも、被告人は、汚でい流出個所に新たな汚でいを搬入したうえ、併せて機械処理を実施したい、また、先に許可申請をした中間処理業許可の見通しを明らかにされたい旨主張するのみで、流出汚でいの撤去作業についてはほとんど実行せず、ただこの間の四月二一日から二、三日かけて第一処理場の決壊個所に若干の残土を盛る作業を実施したものの、右処置も不完全なものであった。県側としては、被告人の主張するような新たな汚でいの搬入は法違反の状態を容認することとなり、また流出汚でいの処理は真水を使用し、あるいは水などを使用しないでも出来ると判断したことから汚でいの搬入は認めないとの態度をとり、また中間処理業の許可については、現場復旧が先決であり、その見通しは明らかにできないとして被告人を説得したが、被告人はこれに納得せず、復旧作業に着手する姿勢を見せなかったことから、県側としては、本件汚でい流出事故は廃棄物処理法一四条二項、一二条一項、同法施行令六条、三条一号に違反する埋立処分によって惹起され、しかも本件汚でい流出によって前記日野興業株式会社等の建物が埋没しその事業活動が完全に停止するなど生活環境の保全上重大な支障が生じているものと判断し、あらかじめ株式会社環境技研コンサルタントに委託して本件汚でい撤去作業に必要な期間を約四五日、費用を約四四〇〇万円と算定させたうえ、法一九条の二第一項に基づき県知事名で五月二二日付で、(一)流出汚でいの撤去、(二)決壊場所につき恒久的な安全対策の実施、(三)右(一)(二)の履行期限は昭和五四年七月九日までとし、直ちに着手すること、(四)右(一)(二)の各工事についての工程表、資金計画等を同月二八日までに提出することを内容とする措置命令を発した。右措置命令に対し、被告人は、同月二五日及び同月二八日の二回に亘り県に対し、新たな汚でいを搬入する方法により汚でいの処理を行う、その工事期間は四四日間又は三四日間、費用は三〇〇〇万円なる旨の計画書を提出したが、県としては、新たな汚でいの搬入は前記の理由で認められないうえ、工事資金調達方法が具体的でなかったため、計画書は受理できないとして返却した。被告人は右の計画書が受理されなかったため、右措置命令に対し行政不服審査法に基づく審査請求を行うことを決意し、右措置命令を履行しなかった。県では、前記のとおり本件第一処理場周辺において、その生活環境の保全上重大な支障が生じたままになっているうえ、梅雨期の到来も近いことから、降雨の状態によっては第一処理場に残存する汚でいが再度流出する危険があり、早急に汚でいの撤去等を実行する必要があると判断し、同年六月一八日付で被告人に対し、(一)汚でい流出区域内に存する建築物等が使用し得るよう流出汚でいを撤去すること、(二)決壊個所につき降雨等により汚でいが再流出しないよう必要な措置をとること、(三)右(一)(二)の履行期限は昭和五四年六月二五日とし、直ちに着手することを内容とする第二回目の措置命令を発するに至った。被告人としては、右の措置命令が第一回目の措置命令に比して実施すべき措置内容が限定されており、現に所有する機械、車両等の売却更には親族からの資金援助等により実行可能であったにもかかわらず、第一次措置命令に従わない決意を有していたことなどから、右第二次措置命令をも実行せず、履行期限である六月二五日を徒過した。県は、被告人が第二次措置命令に従わなかったため、六月二八日から七月九日まで右第二次措置命令の内容につき第一次代執行を、同月一二日から八月三日まで第一次措置命令の内容について第二次代執行を実施し、流出汚でいを除去した。
以上のとおり認めることができる。
2 以上の事実によれば、千葉県知事が被告人に対して昭和五四年六月一八日付で発した措置命令は何ら違法不当なものではなく、また被告人がその措置命令の履行期限である同月二五日までに措置命令の内容に添う措置を講せず、同県知事の命令に違反したことが違法性或いは期待可能性を欠くものとは到底言えない。
(法令の適用)
一、罰条
1 判示第一の行為について刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号。
2 判示第二の行為について廃棄物の処理及び清掃に関する法律一四条五項、二五条一号。
3 判示第三の行為について同法一九条の二第一項、二五条二号。
二、刑の選択
右の各罪につき各懲役刑選択。
三、併合加重
以上は刑法四五条前段の併合罪なので、同法四七条本文、一〇条により最も重い判示第一の罪の刑に同法四七条但書の制限に従い法定加重。
四、訴訟費用負担
刑事訴訟法一八一条一項本文
(量刑の事情)
本件は、判示のとおり、建築基礎汚でい等の処理を業としていた被告人が水分の多いベントナイト汚でい投棄のために東西約三八・五メートル、南北約一一〇・四メートルという大規模な汚でい処理場を設け、ここに水分の多い汚でいの投棄を始め、貯留汚でい量の増加に伴って、堰堤材料並びに堰堤自体の安全性を顧慮することもなく、無計画に堰堤のかさ上げを行い更に汚でいの投棄を続けるという、それ自体大きな危険性を含む堰堤築造及びそれへの投棄行為を行った上、数回に亘って堤体に貯留水の浸透が見られ、或いは別に被告人が設置した同様の汚でい処理場の決壊流出事を体験するなどしてその危険性を十分認識しながら、受入汚でい量の増加に追われ、なんらの安全策を採ることもなく汚でい投棄を続けたため、遂に堰堤を決壊、大量の汚でいを流出させ、生後七か月の幼児を生き埋めにして窒息死させたほか、付近の日野興業ほか二社及び土屋建夫の建物等を汚でいに埋没させ総額約一億四五七三万円の財産的損害を与えたものであり、その過失の態様並びに結果のいずれを見ても、誠に悪質、重大な事案である。被害者らには何らの過失もなく、被告人の一方的過失によってこのような重大事故が発生したにもかかわらず、未だ何らの慰謝並びに被害弁償もなされていないのであって、被告人の責任は重いといわざるを得ない。以上の事情を考えると、被告人の家庭の事情等を考慮しても、相当の責任を問わざるを得ず、主文程度の刑はやむを得ないと考える。
よって主文のとおり判決する。
(裁判官 青木昌隆)
<以下省略>